栂嶺レイ氏の著作「誰も知らない熊野の遺産(ちくま新書)」の中に,“竹筒 幻の玉置街道”という文章があり,副題に“消えた表参道”とある.その参詣道が竹筒から玉置神社にのびているという.一度歩いてみたいねと,Jino氏と話していた道である.その道を辿ることにした.また,先日Jino氏が,玉置川の集落から伸びる近畿自然歩道を辿ったとき,玉置神社の下で沢山の石組みの跡を見つけ,その一角に墓石も見つけたとのことで,その石組みを探索するのも目的のひとつである. 7時,Jino氏と共に自宅出発.奥駆け道と交叉する本宮辻を下山口とし,車を1台置いて登山口の竹筒を目指す.国道311号線の葛山トンネルへ入る手前を右折し,玉置口へ向かう道をすぐ左折し葛山の集落を目指す.細い急な登り道だ.県境付近の広場に駐車する.途中,地形図の破線道の登り口を探しながら来るが,よくわからなかった.準備を整えて出発.駐車地近くに山に入る道を見つけ,そこから入山することに.民家の脇を抜けて植林の林の中へ.ところがやはり違うようだ.東に行けば破線道に出会うだろうと,林の中を辿る.と,予想どおりの道に出会う.緩やかに登りながら道を辿る.道に沿って電話線の電柱が立っている.やがて右下に谷筋が現れ,それに沿っていく.電話線は途中で谷を横切って対岸へ.やがて谷がとぎれるあたりから平坦地に出,広い作業道に変わる.作業道はいくつも入り組んでいて,作業道に沿って歩いている内に,途中から地形図の破線道を外れてしまう.作業道は地形図にはのっていないが,このまま作業道を辿っても四つ辻に出られそうなので,そのまま進む.ほどなく,四つ辻に到着.十津川村森林組合の大きな看板が立っており,その脇に石碑と道標(玉置神社/一里十九丁三十間)がある.
作業道はさらに延びており,参詣道は作業道から離れて左に登っている.歩を進め,玉置神社鳥居を目指す.途中,藪っぽいところもある.杉柴の敷き詰められた道を辿り,峠近く,鳥居の残骸らしきものを見つけるが,はっきりしない.付近には石組みが見られる.その先,傍らに地蔵を見て,先に進む.四つ辻から伸びてきた作業道がここまで来て,さらに先に延びている.参詣道は作業道から右下に,作業道に沿うように続いている.さらに進む.沢を横切るところでは道が崩落しているところもある.ずんずんと進み,やがて玉置川の集落から伸びている車道に出会う.車道を少し右に行ったところから,赤い鉄の橋を渡って,再び参詣道に入る.時刻はもうお昼前,少し早いが,谷に降りて昼食とする.
ゆっくりと昼食をとったあと出発.道が崩落しているところもあるが,何とか通り抜け,やがて林道に出る.その先すぐに車道である.ここからはしばらく車道を歩き,奥駆け道と交叉する本宮辻へ向かう.途中,玉置山から宝冠の森に続く稜線がきれいに見えている.本宮辻に到着.ここにも地形図には載っていない林道が伸びている.参詣道はここから奥駆け道を辿って玉置神社に向かっている.
林道を辿って,終点近くに広がっている石組みの跡を見にいくこととする.林道の終点は広場になっている.地形図で建物の記号が認められるあたりである(建物はない).付近にミツマタが沢山花を咲かせている.その上の斜面を見ると,石組みの跡が沢山認められる.Jino氏によると,道の下にも石組みの跡が見られるとのことである.広場の一角から,細い道を辿って石組みの方へ登っていく.途中,深い凹地が認められる.その先,墓地だろうか,傾いた墓石が並んでいる.その一段上にも僧の名を刻んだ墓標が.没年をみると,古いもので宝永元年,新しいもので慶應四年とある.その上に太い枯れ木が倒れかかっている.墓標の前にはミカンがひとつ.Jino氏が先日来たときにもあったと言うから,誰かがお参りしているのだろうか.しばらく付近の石組みを探索する.全体を合わせるとかなりの規模になりそうだ.かつて,“玉置神社は,幕末まで,七坊十五寺の大伽藍を擁する神仏習合の寺院だった(前掲書)”という.ここが,廃仏毀釈で打ち壊されたという寺院跡だろうか.
探索を終え,玉置神社を目指す.林道を少し戻り,途中にある鉄の階段を上り,近畿自然歩道に入り,急坂を辿る.太い杉の木がある.やがて神社の建物が見えてくる.石組みの下を辿ると,鳥居の脇に出る.本殿に参拝した跡,その脇にある夫婦杉,神代杉を見る.どちらも巨木である.社務所の近くにある休憩所でコーヒーブレイク. さて,下山だ.鳥居の横から奥駆け道に入り,本宮辻を目指す.途中太い杉の木が道に倒れている.ずんずんと下って無事本宮辻に到着する.
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