熊野古道 八鬼山越え(647m)

八鬼山越え

八鬼山越え
               
登山日  2012年9月13日(木)
天気  晴れ
同行者  KT氏
行程  熊野古道センター8:55−9:06八鬼山入口−9:14登山口9:18−9:33行き倒れ巡礼供養碑9:36−9:43八鬼山石畳道案内板−9:53駕籠立場−9:57清順上人供養碑−10:03林道出合10:11−10:56桜茶屋一里塚−11:14蓮華石・烏帽子石−11:22九木峠11:34−11:38荒神堂−12:00八鬼山峠−12:03八鬼山(647m)−12:13桜の森広場12:59−13:32十五郎茶屋跡13:37−13:55明地道と合流−14:00駕籠立場−(休憩10分)−14:40駐車地(途中小休憩、撮影時間含む)


KT氏から八鬼山越えの誘いがあり,出かけてきた. 朝7時,自宅発.KT氏の車と2台で出かけ,KT氏の車を三木里の降り口に置き,熊野古道センターの駐車場に移動する.
古道センター前の道を辿ると,"熊野古道・八鬼山"の看板が出てくる.ここが入口である.尾鷲市の民謡尾鷲節の刻まれた歌碑が道標となっている.また,「八鬼山峠(頂上)4,340m,約140分」の表示もある.しばらく行くと,右手にトイレのある広場があり,そこが登り口となる.熊野古道,八鬼山道を解説する案内板もあり,目を通して,出発である.しばらく進むと苔むした石畳の道である.

古道入口
古道入口
 
案内看板
案内看板
 
歌碑(道標)
歌碑(道標)
 
登り口
登り口
 
案内看板
案内看板
 
案内看板
案内看板
 
苔むした石畳道を行く
苔むした石畳道を行く
 
苔むした石畳道を行く

"行き倒れ巡礼供養碑"
このような碑は4基残っているとのことで,ここにあるのは茨城県からの巡礼者のものであると案内板にある.他にも長崎県,群馬県からの巡礼者のものもあるとのことである.

  
行き倒れ巡礼供養碑
行き倒れ巡礼供養碑
 
案内板
 

"八鬼山石畳道"の案内板
全国有数の多雨地であるこの地で,路面の流失崩壊から守るために石畳が敷設されたとのことである.途中の大きな敷石を踏むと小さい音がするので「ゴットン石」というとの説明がある.踏んでみるとたしかにコトコトと音がするようだ.

  
八鬼山石畳道の案内板
八鬼山石畳道の案内板
 
八鬼山石畳道
八鬼山石畳道
 
ゴットン石
ゴットン石
 

"駕籠立場"と"町石"の案内板
駕籠立場は紀州藩主や巡検視などが駕籠を止めて休憩した場所とのこと.町石は1町ごとの道のりを記した石で,33体が現存し,全て地蔵尊であるとの説明がある.

  
駕籠立場の案内板
駕籠立場の案内板
 
町石の案内板
町石の案内板
 
町石
町石
 

"伊勢内宮清順上人供養碑"
戦国時代,遷宮が行われず荒れ果てていた伊勢神宮に心を痛めた尼僧・清順が諸国を勧進して浄財を募り外宮の造営・遷宮を成し遂げた得を慕い,その菩提のための供養碑とある.

  
伊勢内宮清順上人供養碑
伊勢内宮清順上人供養碑
 
伊勢内宮清順上人供養碑の案内板
伊勢内宮清順上人供養碑の案内板
 

橋を渡りしばらく進むと林道に出会う.ここまでおよそ1時間の行程である.小休止とする.

  
橋

 
小休止
林道との出合で小休止
 

一息ついて出発する.登り初めの石段の脇にヤマジノホトトギスが咲いているのを見る.道ばたの巡礼供養碑や町石の横を,苔むした石畳道を登っていく.湿っていて滑りやすいので注意が必要だ.やがて難所の七曲がりにさしかかる.つづら折りの急坂である.それを越えてなおも進むと"桜茶屋一里塚"の案内板がある.尾鷲地方では片方の塚の上に松を,もう片方には山桜を植えたとあるが,その様子はうかがえなかった.

巡礼供養碑
巡礼供養碑
 
苔むした石畳道を登っていく
苔むした石畳道を登っていく
 
苔むした石畳道を登っていく
 
町石
町石
 
七曲がりの案内板
七曲がりの案内板
 
巡礼供養碑
巡礼供養碑
 
七曲がりの急坂
七曲がりの急坂
 
町石
町石
 
巡礼供養碑
白い湯飲みの置かれている小さな石も巡礼供養碑とのことである
 
町石
町石 このように一部が欠けてしまったものも多い
 
町石
町石
 
桜茶屋一里塚
桜茶屋一里塚の案内板
 

さらに進むと大きな石が2つ."蓮華石"と"烏帽子石"である.石の形が蓮華(ハスの花)と烏帽子に似ていることから名付けられたとある.

  
町石
町石
 
町石
町石
 
石畳道
石畳道を行く
 
町石と苔むした石畳道
町石と苔むした石畳道
 
町石と苔むした石畳道
町石と苔むした石畳道
 
町石
町石
 
町石
町石
 
町石
町石
 
蓮華石と烏帽子石の案内看板
蓮華石と烏帽子石の案内看板
 

ここから一息で九木峠である.ちょっとした広場があり,ベンチも置かれてある.傍らには「右,みきさとみち 左,くきみち」と記された道標がある.一息ついていると上から女性が一人降りてくる.尾鷲からのピストンとの事である.

     
九木峠
九木峠
 
道標
道標「右,みきさとみち 左,くきみち」と記されている
 
道標の案内看板
道標の案内看板
 
町石
町石
 

さらに登っていくと道の先にお堂が見えてくる."荒神堂"である.案内板によると「ここに八鬼山日輪寺があり,その歴史は古く,今から1300年にもさかのぼる」とある.そんな古い昔にこの山の中にお寺があったとは驚きである.堂内には「石像三宝荒神立像」があるとしているが,扉が閉まっていて拝観することはできなかった.お堂の脇の平地には昭和の初期まで荒神茶屋があったとの事である.

        
町石
町石
 
町石
町石
 
荒神堂が見えてきた
荒神堂が見えてきた
 
案内看板
案内看板
 
荒神堂
荒神堂
 

 

さて,峠まではあとひと登りである.途中の町石の前に置かれている湯飲み茶碗をみると,なんとその中に赤銅色をした甲虫がたくさんもがいている.センチコガネのようだ.湯飲み茶碗の中に入っていた何かが誘因したのだろうか.

  
町石
町石
 
町石
町石 右下の湯飲みの中に甲虫が入っている
 
湯飲みの中の甲虫
湯飲みの中の甲虫
 

ようやく八鬼山峠(三木峠)に到着.出発してから,ゆっくり登っておよそ3時間の道のりであった.ここから三木里へ下るに,江戸道と明治道に分かれる.峠のすぐ裏手に大きな石があり,そこが八鬼山の頂上である(647m).

     
町石
町石
 
八鬼山峠に到着
八鬼山峠に到着 ここで江戸道と明治道に分かれる
 
案内看板
案内看板
 

江戸道へ入って少し行ったところに桜の森広場という広い芝生の広場があり,東屋が建っている.広場からは太平洋が見渡せ,眼下には深い入江の中に九鬼の町が見えている.遠くに霞んで見えるのは志摩半島という.アキアカネだろうか,トンボがたくさん飛んでいる.ここで昼食とする.

  
桜の森広場
桜の森広場
 
眼下に九鬼の町が見える
眼下に九鬼の町が見える
 
遠く霞む志摩半島
遠く霞む志摩半島
 

小一時間ほど休憩し,いよいよ下山である.江戸道を下っていく.しばらくは落ち葉の積み重なった道で,スリップの心配がないのが助かる.イノシシであろうか,落ち葉を掘り返した後があちこちに見られる.キノコが顔を出している.やがて"十五郎茶屋跡"に到着.案内板に描かれている「西国三十三所名所図絵」の絵から,当時の様子がうかがえておもしろい.この先の下り道は急坂であるという.その急坂を下るとやがて明治道と合流する.やがて道もなだらかになり,"駕籠立場","名柄一里塚"を経て,駐車地へ到着する.

  
江戸道を下る
江戸道を下る
 
キノコ
キノコが生えていた
 
十五郎茶屋跡の案内看板
十五郎茶屋跡の案内看板
 
「西国三十三所名所図絵」の絵
「西国三十三所名所図絵」の絵
 
木々の間に三木里の町が見える
木々の間に三木里の町が見える
 
落書き
世界遺産指定に反対する落書き
 
駕籠立場の案内看板
駕籠立場の案内看板
 
名柄一里塚の案内看板
名柄一里塚の案内看板
 

 
振り返って見る八鬼山方面
振り返って見る八鬼山方面
 

世界遺産でもある熊野古道伊勢路の最大の難所ともいわれる八鬼山越え.信仰の道であり,また,歴史の道でもあることを感じさせる山行であった..


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