筏師の歩いた道を訪ねる

道標

道標
               
日 時  2014年3月7日 
天気  晴れ
同行者  単独
行程  片川公民館(駐車地)11:10−(トロトロ坂)−11:32道標11:37−11:42火の用心の石柱11:46−11:58巨岩信仰12:00−12:01県道−12:10桜茶屋跡12:13−12:18上地のシシ垣−12:29住居跡12:57−13:00分岐・集落跡13:06−13:15分岐−13:51送電線鉄塔14:11−14:39分岐−14:49片川沿いの道14:57−14:59桃太郎岩15:01−15:11林道終点15:14−15:33お寺15:35−15:42片川公民館(駐車地)


北山川から熊野川を下って新宮まで木材を筏に組んで流していた筏師たちが、家路へとたどった道がある。その道の一部を歩こうと、御浜町片川の集落を目指す。集落で出会った方に、どこか車を止めておけるところはないかと尋ねると、公民館のところへ止めても大丈夫とのこと。少し話をすると、この片川地区も超限界集落となっていること。若いころには山登りをしていたとのことで、北アルプス方面もよく行ったとのことだった。トロトロ坂から筏師の道を歩こうと思っているが、というと、風倒木があるが大丈夫とのこと。時々歩く人がいるとのことである。お礼を言って出発する。

 公民館を出てすぐのところにトロトロ坂の案内看板がある。その先から坂道に入る。少し小川沿いに歩いた後、植林地の中に入る。道は、杉柴が積もっているが石畳の立派な道だ。ところどころ風倒木が道をふさいでいるが、大した支障はない。上り詰めたところが分岐になっており、道標が立っている。「右 新宮本道、左 同近道」とある。ここからが筏師が歩いた道である。

  
公民館
公民館に駐車させてもらう

 
トロトロ坂入口
トロトロ坂入口

 
杉柴の降り積もった石畳道
杉柴の降り積もったトロトロ坂の石畳道

  
石畳道

  
石畳道

  
石畳道

  
道標
道標が立っている

  
道標
道標

  

右の道をとる。ここも杉柴が積み重なっている。少し行ったところで、火の用心と書かれた石柱が倒れている。ここも分岐になっているようだ。道を右にとり、山道を行く。ここも植林の中である。ずんずん行くと、しめ縄をかけた巨岩がある。そこから急坂を下るとすぐに県道である。向こう側にある階段を上る。その上に家が一軒ある。庭の梅が満開だ。その横のススキ原の中を行く。と、尾呂志の集落がよく見えている。その背後にあるのは高チラ山から鷲の巣山だ。石垣の積んだところで、直角に折れて道は山の中に入る。その先、掘割のようなところに渡るのを躊躇するような朽ちかけた橋が渡してある。安全をとって脇を抜ける。しばらく行くと“桜茶屋跡”の案内看板があり、その先に石組の跡が見られる。ここが桜茶屋跡だろうか。さらに歩を進めると“上地のシシ垣”の案内看板が。道を少し下がったところに猪垣が組まれている。その先の平たん地に住居跡がある。付近を調べてみると、かまどの跡があり、空き瓶や湯飲み茶わんなどが散らばっている。ここで大休止。

                     
火の用心と書かれた石柱
火の用心と書かれた石柱が倒れている

 
植林の林の中を辿る
植林の林の中を辿る

 
巨岩
巨岩にしめ縄がかけられている

 
県道を横切る
県道を横切る

 
梅の花が満開だ
梅の花が満開だ

 
尾呂志の集落が見える
尾呂志の集落が見える

 
山道に入る
山道に入る

 
朽ちかけた橋が・・・
朽ちかけた橋が・・・

 
桜茶屋跡?
桜茶屋跡?

 

 
上地のシシ垣
上地のシシ垣

 

 
住居跡
住居跡
 
かまどの跡が残っている
かまどの跡が残っている

 
ビンが散らばっている
ビンが散らばっている

 

さらに進むとまた住居跡があり、その先で道が分岐している。地図を見て、右と判断して、先へ進む。そこにも住居跡がいくつか見られ、集落があったようだ。植林された木の中に棚田跡のようなものも認められる。かつてはここにも生活の場があった。が、今は木々に埋もれている。さらに先へ進むと、道が不確かになる。さてはこれは集落の中の道だったか、と思い、分岐まで戻る。ここでコンパスで方向を確かめればよかったのだが、後の祭りであった。直進する道もしっかりした道だったので、あまり考えずにその道をとる。

 しばらく登りの道である。やがて大きな岩が見える。その先で左からくる少し広い道に合流する。ここまでおよそ標高差50mほども登っただろうか。ここでも、地図をよく見れば、本来予定していた破線道に50mもの登りのないことに気付くべきであった。その先も踏み跡が薄くなるところもあったが、ところどころにテープもつけられており、地形が地図と少し合わないなと思いながらも、自分は破線道を歩いているつもりであまり疑わずに先に進むのであった。スマートフォンのアプリ”地図ロイド”で確認すれば現在地がわかると思いながらも、それは最後の手段で、できるだけ自力で行ってみようと先へ進む。万一の場合は、GPSの軌跡をたどって戻ればいいとの判断もあった。

 やがて涸れ沢を2つ渡るところがあり、破線道にもそのように連続して沢を渡っているところがあるので、ここまで来たかとひと安心するのもつかの間、その先で、踏み跡が分からなくなってしまった。しばらくうろうろするが、どうしてもわからない。ふと、上に向かってかすかな踏み跡のようなものが確認できたので、それを登ることとする。登っていくと、なんと、木々の隙間から鉄塔の脚が見えるではないか。???。登りついたところは送電線の鉄塔であった。

   
分岐
分岐 右へ行くと集落跡

 
集落跡の石垣
集落跡の石垣

 
分岐を直進
分岐を直進して行く

 
巨岩
大きな石の脇を抜けていく

 
分岐
左から広い道が合流 そちらをとらずにシダの中の道を直進する

 
道がだんだんと怪しくなってくる
道がだんだんと怪しくなってくる

 
鉄塔
たどり着いたところは送電線の鉄塔だった

 

GPSで標高を確かめると、663mを示している。誤差を考えても、破線道はこんな高いところを通ってはいない。完全に道を間違えていたようだ。さて、ここはどこだろうか。新しい地図には送電線が記載されていない。昨夜地図を印刷するとき、古い地図から送電線の位置を書き写しておかなくてはと思いながらも、うっかり失念してしまっていた。地図を見ながら、あたりをつけるが、ここで間違えれば、完全な道迷いになる。とうとうスマートフォンを取り出して、位置を確認すると、701mのピークから北に延びる尾根上であった。ようやく現在地が判明した。さて、この後、どういうルートをとればいいか、ひと思案。北に向かう尾根に向かってかすかな踏み跡らしきものが見えるが、その先は分からない。東の尾根をたどれば本来のルートに戻れそうだ。ここでは慎重にコンパスで方向を確かめ、下りにかかる。

 落ち葉で滑りやすい急坂を慎重に下り、小ピークに到着。ここで尾根が2つに分かれている。北に向かう尾根にかすかな踏み跡が認められるので、そちらに降りることにする。やがて左側に沢音が聞こえだす。間もなく右から来る少し広い道に合流するが、そのまま直進する。左に沢が間近となり、沢に降りてみるが、大きな石がゴロゴロとしており、下りにくそうなので、元に戻り、少し下って、沢の出合でようやく片川川沿いの道に合流する。出合にかかっている橋を渡り、上流に少し行くと桃太郎岩である。大きな岩が2つに割れている。これを桃太郎が生まれた桃に見立てているのだろう。

尾根を下る
鉄塔からの尾根を慎重に下る

 
右からの広い道に合流
右からの広い道に合流

 
沢が近くなってきた
沢が近くなってきた

 
出合にかかる橋
出合にかかる橋

 
川
桃太郎岩に向かう川はきれいなナメが続いている

 
桃太郎岩
桃太郎岩 この岩の割れ目から桃太郎が生まれた

 

今日はここまで。片川の集落に向かって川沿いの道をたどる。途中、地図で筏師の道が降りてきているあたりを探すが見つからない。先ほど出会った少し広い道がそれかもしれない。ほどなく林道に出、その先の県道を進む。と、数年前の豪雨で流された橋の工事をしていて、対岸に渡れない。近くにいた工事をしている人に、対岸に渡る道があるかどうか聞くと、工事中の橋を通ってもよいというので、鉄筋むき出しの橋を渡る。途中、お寺に寄り、その下の墓地の脇を通る道を下って、公民館に戻る。

工事中の橋
工事中の橋を渡らせてもらう

 
片川の集落
ようやく帰り着いた片川の集落は梅が満開であった

 

今回、予定した道をすべて歩くことができなかったが、かつて、筏師たちが歩いたであろう様子を想像しながら道をたどることができた。その途中にあった集落跡、かつての生活の跡も、木々の中に埋もれつつあるが、往時の様子はどのようだったのだろうか。また、今回改めて地図読みが足らないことを実感した。GPSとスマートフォンのアプリ“地図ロイド”がなければ完全に道迷いをしていただろう。反省である。



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