■ | 日 時 | 2012年11月4日(日) |
■ | 天気 | 晴れ |
■ | 同行者 | K |
11月4日,熊野市神川町の旧神上中学校で開催されたイベントに出かけた.せっかくなので,その道すがらの名所等を訪ねてきた.昨年の水害で大峪トンネルを抜ける道が使えないので,金山町から県道御浜北山線を辿っていく.その途中でアサマリンドウが沢山咲いているのを見つける.このアサマは伊勢市の朝熊山に由来するそうだ.
アサマリンドウ |
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近くにはゼンブリも咲いていた.
ゼンブリ |
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札立峠のトンネルを抜けて下った先が赤倉の集落だ.ここを通り過ぎて少し行くと"雨滝"がある.県道の脇の展望所から滝を見下ろすことができるが,せっかくなので山道を河原まで降りてみる.大きな滝壺を持った滝だ.雨乞いの地ということで,日照りが続くと村人が寺の鐘を滝壺につけて祈祷したとのことである.
雨滝 |
雨滝の案内看板 |
さらに先に進むと目の前に大きな岩壁が現れてくる."大丹倉"である.案内看板によると,この岩壁は神木流紋岩でできており,含まれる鉄分のために赤みを帯びているとある.別の看板によると"「丹」という字は「赤い色」という意味があり,「倉」という字は断崖絶壁の山を表す"とある.「倉」は大台ヶ原の大蛇ーの「ー」と同じ意味だろう.よく見ると小さな滝がかかっているのが見える.
大丹倉 |
大丹倉の案内看板 |
その先のナベラ滝橋から下を見ると,"蝶の羽根岩"が見られる.流紋岩の柱状節理が浸食された断面に現れた模様である.その模様を2つ合わせると羽根を広げた蝶に見えることからこう呼ばれているようだ.
蝶の羽根岩の案内看板 |
育生町のどぶろく祭りで有名な大森神社の横を通り,北山川沿いを神上に向かう.イベントの行われている旧神上中学校はかつて1年ほど勤めたことがあり,懐かしい所だ. イベントを楽しんだあと,五郷まわりで帰ることとし,走っていると,"田本研造生家跡"の看板を見つける.田本研造はこの地に生まれた日本写真界の先駆者だ.北海道函館に渡り,数々の記録写真を撮影したとある.生家跡には建物はなく,敷地をぐるり石垣が取り囲んでいる. .
田本研造生家跡 |
敷地内から門の方向を見る |
石垣の石積み |
田本研造生家跡案内看板 |
田本研造生家跡案内看板 |
その後碇の集落を訪ねる.谷の奥,山に囲まれた小さな集落だ.耕作が放棄された畑も沢山あったが,草刈りがされているなど,手入れはされているようだ.何かほっとする,心の和む風景だ.路傍に"六十六部供養塔"というのを見つける.「六十六部は,妙法蓮華経を書き写し,全国六十六カ国の寺社を巡る行脚僧のこと」と案内看板にある. .
碇の集落 |
六十六部供養塔 |
六十六部供養塔案内看板 |
また,集落のはずれに2本並んで植えられた"ニッケイの大木"がある.樹齢は推定100年以上とある.
ニッケイの大木 |
下から見上げる |
幹 |
葉 |
ニッケイの大木案内看板 |
秋空のもと,イベントを楽しみ,また,郷土を知ることのできる一日だった.